間近でそんな風に問われたら、彼を好きな気持ちに――というよりそれに気付いたことに――勘付かれてしまったんじゃないかとドギマギしてしまう。
「わ、たしっ、基本的には素直なタイプなんですっ」照れ隠しにそう言ったらクスッと笑われた。
「そうか。じゃあ、そんな素直な花々里《かがり》に、帰りが遅くなるのに連絡を入れなかったことについて、責めさせてもらっても構わないよね?」
言って、頼綱《よりつな》が私を腕の中に閉じ込める。
「あ、のっ、頼綱っ」
寛道《ひろみち》に抱きしめられた時には鼻水のことしか頭になかったのに、頼綱のそれはただただ私の心をざわつかせて。
慌てて喘ぐように息を吸い込んだら、鼻腔を頼綱のにおいが満たしたことにも戸惑いを覚えて身体が跳ねてしまう。その拍子。肩にかけていたトートバッグがバランスを失って、床にドサッと落ちてしまった。なのにそれにも気が回せないぐらい、心臓がうるさく騒いでいる。
きっと寛道と同じことがあったら「カボチャ!」ってなってたはずなのに、それすら気にならないぐらい今の状態に動転しているのは、八千代さんの作る夕飯の香りがここまで香ってきていてカボチャへの関心が薄れてしまったから、なんて理由じゃないと思う。
「遅くなるならそう連絡をしないと。――八千代さんにも迷惑を掛けてしまうと思わなかったの?」
その言葉にハッとして身じろいだら、私を抱きしめる腕に力が込められて、
「俺も……何かあったんじゃないかと心配したんだよ? 分かってる?」
耳元に静かな声音で落とされた言葉に、全身が粟立った。
「ごめ、なさ……」
耳まで一瞬で熱くなってしまったことに気が付いて、それを頼綱に気付かれたくなくてうつむいたままそう言ったら、
「――明日は大学、何時に終わる?」
と問いかけられた。
明日は1コマほど最後の講義が休講になっていたはず。
それを思い出しながら
「17時前には――」
頼綱《よりつな》から解放されて、床のカバンを手に取ると、私は半ば逃げるように自室の扉を開ける。 後ろから付いてこられたら拒み切れる自信がなくて、慌てて扉を閉ざそうとしたら「すぐ夕飯だからね」 閉め切る直前、頼綱の声が背中に飛んできて、私はビクッと身体を震わせてから「はいっ」と優等生みたいな返事をして、いそいそと扉を閉ざす。 ひとりになって佇むと、ふわりとどこからともなく頼綱の香りが漂って。 さっき抱き寄せられた時の移り香だと思い至った私は、真っ赤になってその場にヘタり込む。 もぉ、何あれ、何あれ。 いきなり抱きしめてくるとか反則だよっ! 思いながら握りしめたままのカバンにふと視線を落としてから、ハッとしたように荷物をかき分けて底に入れた青いふたの容器を引っ張り出す。「よかった、汁、漏れてない」 ホッとした途端現金にもグゥッとお腹が鳴って、私はすぐに夕飯だと言われたくせに、無意識にタッパーのフタを開けてしまう。 一応1日持ち歩いてしまったし、と思って鼻を近付けてクンクンにおいを嗅いでみて、美味しそうなにおいに「大丈夫そう」ってホッとする。 そのまま半ば条件反射みたいにひとつつまみ上げ……ようとして手洗いがまだだったとハッとして手を止めた。 うー、またお預けかぁ。 そう思って肩を落としたところで、さっきカバンをあさったとき無意識に中から取り出して床に置いた携帯のお知らせランプがバイブ音とともに点滅し始めて。「あ……」 そういえば大学で講義を受けるのにマナーモードにしたまま色々あって、オフにするのを忘れていた。 何だろ? 思ってタッパーにフタをし直してから、おもむろに携帯に手を伸ばす。「寛道《ひろみち》……」 からの着信だった。 何の用かしら? 通話ボタンを押して「もしもし」と応答したら『花々里《かがり》、無事か!?』とか。
間近でそんな風に問われたら、彼を好きな気持ちに――というよりそれに気付いたことに――勘付かれてしまったんじゃないかとドギマギしてしまう。「わ、たしっ、基本的には素直なタイプなんですっ」 照れ隠しにそう言ったらクスッと笑われた。「そうか。じゃあ、そんな素直な花々里《かがり》に、帰りが遅くなるのに連絡を入れなかったことについて、責めさせてもらっても構わないよね?」 言って、頼綱《よりつな》が私を腕の中に閉じ込める。「あ、のっ、頼綱っ」 寛道《ひろみち》に抱きしめられた時には鼻水のことしか頭になかったのに、頼綱のそれはただただ私の心をざわつかせて。 慌てて喘ぐように息を吸い込んだら、鼻腔を頼綱のにおいが満たしたことにも戸惑いを覚えて身体が跳ねてしまう。 その拍子。肩にかけていたトートバッグがバランスを失って、床にドサッと落ちてしまった。なのにそれにも気が回せないぐらい、心臓がうるさく騒いでいる。 きっと寛道と同じことがあったら「カボチャ!」ってなってたはずなのに、それすら気にならないぐらい今の状態に動転しているのは、八千代さんの作る夕飯の香りがここまで香ってきていてカボチャへの関心が薄れてしまったから、なんて理由じゃないと思う。「遅くなるならそう連絡をしないと。――八千代さんにも迷惑を掛けてしまうと思わなかったの?」 その言葉にハッとして身じろいだら、私を抱きしめる腕に力が込められて、「俺も……何かあったんじゃないかと心配したんだよ? 分かってる?」 耳元に静かな声音で落とされた言葉に、全身が粟立った。「ごめ、なさ……」 耳まで一瞬で熱くなってしまったことに気が付いて、それを頼綱に気付かれたくなくてうつむいたままそう言ったら、「――明日は大学、何時に終わる?」 と問いかけられた。 明日は1コマほど最後の講義が休講になっていたはず。 それを思い出しながら「17時前には――」
「僕の花々里《かがり》にこんな無粋な痕跡を残すとか……腹立たしいにも程があるね」 そのままアザに口付けられてゾクリと背筋が慄く。「あ、あの、頼綱《よりつな》……、私……」 これは素直に話した方がいいかも知れないって思って……ここから大学までのルートが覚えられなくて迷子になってしまいそうだった旨を話して。「そ、それでね、小さい頃から私が方向音痴なのを知ってた寛道《ひろみち》が心配して送り迎えしてくれたの……」 この手首の赤いのは私がモタモタしていて寛道を苛立たせてしまって引っ張られただけだと……一生懸命訴えてみる。 手首を握られた経緯については少し嘘を織り交ぜてしまったけれど……でもそこは伏せておかないと頼綱を余計に不機嫌にさせてしまいそうな気がして言えなかった。「頼綱は……お仕事あるし……迷惑掛けられないって思って。……ごめんなさい」 最後の〝ごめんなさい〟が効いたのか、頼綱が手を開放してくれてホッとする。「花々里。昨日俺と一緒に大学までの道のりを往復歩いたと思うんだけど。あれでも覚えられなかったということかい?」 ややしてポツンと頼綱にそう落とされて、私はソワソワと視線を泳がせる。 口調こそ「俺」に戻ってくれたけれど……その言葉を肯定するのが何となく憚られてしまう。 だって私、昨日は頼綱に無理言って車ではなく徒歩で道を教えてもらったのに。 それなのに目印にしていたものがことごとくダメなものだったって知ったら、寛道みたいに。いや労力を費やした分、下手したらそれ以上に……。 頼綱、呆れちゃうんじゃないかな。 それが、すごく怖くて。「もしや――1度歩いたぐらいじゃ、うまく
あの人、百足《むかで》だった。 靴が多すぎて、どの靴を履いて行ったのか……そもそも靴が減っているのかすら私には分からない。 家の前の車庫に車あったっけ? そもそもシャッターはどうだったかな。 開いてた? 閉まってた? うー。思い出せないっ。 考えてみたら家の前に帰り着いた時点で真っ暗だったし、いつも以上に周りが見えていなくても不思議じゃない気がする。 今日 寛道《ひろみち》に、「お前は景色を見てるようで見てないんだよ」って言われたんだけど、そういう事なんだって今、思い知ってます。 もし頼綱《よりつな》のほうが先に帰宅していたら、きっと「どこに行ってたんだ?」って聞かれてしまう。 あの人、今朝、今日は何時まで講義があるか聞いてきたし、問われたら絶対まずい。 ふと腕時計に視線を落とすと、20時を過ぎていて。 18時過ぎに大学が終わって、どんなにちんたらしたって19時までにここに帰りつけないなんてことがないことぐらい、私にだって分かる。 どうかまだ戻ってきていませんように。 祈るような気持ちでそろりそろりと廊下を歩いて、自分に割り当てられた部屋を目指す。 あそこを曲がれば自室、ってところで「花々里《かがり》」と、仁王立ちしている頼綱に呼び止められた。 その声に、思わず「ひっ」と悲鳴が漏れる。「おかえり。――随分のんびりとした帰宅だね。外、真っ暗だっただろう」 淡々と問いかけられて、私は頼綱から距離を取るように壁づたいにずりずりと背中を擦りながら自室に向けて横スライドする。「あ、あのっ、ちょっとお母さんのところへお見舞いにっ」 帰りが遅かった理由としては妥当だし、堂々と言えば良いものを後ろめたさに後押しされて、私は頼綱の目を見られない。 すすす、っと視線を逸らすようにしながらそう言ったら、まるで遅く帰宅したことの言い訳にしか聞こえなくて、自分でも空々しいと思ってしまった。 私本人がそう感じているのだから、頼綱が思わないわけがない。「そう
「ただいま戻りました」 お母さんと2人の家になら、「ただいまぁー」と間延びした声で帰宅するのだけれど、居候生活3日目の現状ではさすがにそれははばかられて。 これを、「気を遣っている」と見るか、「様子見しているだけ」と見るかは微妙なところなんだろうな。 予期せずお母さんに会ったことで、少し弱気になっている自分に気がついて、私はフルフルと首を振った。 病院でお母さんに即答したように、別に私、御神本家《みきもとけ》で肩身の狭い思いなんてしていないし、もちろん虐げられてもいない。 ばかりか、むしろとても大事にされているという気までするくらいで……ホント不満なんてないの。 何より食事が美味しいし、旬のものを必ず一品は取り入れるようにして料理を作る八千代さんの姿勢は、大いに見習いたいとも思う。 御神本家にいると、食事ってお腹が膨らめばいいってだけのものじゃないんだなって痛感するの。 そんな私が、ただひとつ困っていることがあるとすれば、頼綱《よりつな》とひとつ屋根の下で寝食をともにしているということ、かな――。 昨夜も嘘か冗談か、「今夜こそは」と同衾《どうきん》を迫る頼綱を部屋から追い出すのに苦労したし、多分今夜も。 小町ちゃんに「頼綱への気持ち」に気付かされてしまった今、それが逆にズシーンと重くのし掛かってくるようで。 好きな人から求められることが嫌だと感じる人はいないと思う。 私だって……本音言うとそう。 自分の気持ちに気づいてしまった今夜、私は頼綱を拒めないかも知れない。 それが、怖い。 ……私と頼綱は使用人と雇用主。 頼綱の私への執着は、もしかしたら学費を出して手に入れた私への品定めに近いところがあるんじゃないかしら?とも思ったりして。 そんな頼綱にもし気を許して、何もかもを見極められてしまった後、それでも彼が私に価値を見出してくれるのかな?って考えたら、イマイチ自信がないの。 そんな状態で入籍なんてして、戸籍上も彼のものになってしまったら……私、途端に価値を失ってし
ヤバイ……。 小町《こまち》に「手遅れかも」とか言われて……。 ついでに、以前書いたとかいう婚姻届がまだ保留にされているんだと知って……。 俺、つい焦って花々里《かがり》に「好きだ」とか言っちまった。 子供の頃からずっと花々里のことしか見ていなかったけど、花々里は父親を亡くしてからこっち、食いモンしか見てなかったし、それならそれで急がなくても少しずつ歩み寄っていけばいいかと思っていたのに。 それこそ俺が就職してから。 稼げる男になってから。 花々里に自力で美味いモン、たくさん食わしてやれるようになってから。 そうなれてから好きだと告げて、ただの「幼なじみ」から「1人の男」として意識してもらえたらいいと思ってたんだけどな。 子供の頃といい、最近といい、何だって花々里はすぐ俺じゃないヤツに餌付けされちまうんだ! 俺の餌付けが足りなさ過ぎたのは認める。 何つっても母親頼みだし……他力本願な時点で詰めが甘い。 うちには4つ年の離れた食い盛りの双子の弟達もいるし、どうあっても常におかずの奪り合いが起こる。 家だって、ごくごく平均的月収のサラリーマン親父と、パートタイマーの母親が支える、いわゆる庶民だし。 頼綱《よりつな》みたいに、いつでも高級なモンを食わしてやるとか現状では絶対に無理だ。 けど――。 負けたくないって思っちまったんだからしゃーねぇじゃん? 好きだって暴露してしまったのも取り消